ゼロをめざすには5

 

一般の方と話をしていてセンターでの殺処分の話が出た際、

「センターで『安楽死』」

とおっしゃるのを何度か耳にしたことがあります。

 

 

他県で改革が殺処分数の減少につなげることができたところでは、

殺処分方法を、注射による『安楽死』にシフトしたところもありますが、

旧来の殺処分の方法は、安楽死ではありません。

 

炭酸ガスによる、窒息死です。

 

ガス室に追い込み機で追いやられ、ガスを送り込まれ、もがき苦しみ、死んでいきます。

通称ドリームボックスの中で、犬は鳴き叫び、壁をひっかきます。

その後、遺体は別の機械に送り込まれ、焼却されます。

悲惨な場合には、ガス室で完全に絶命することができず、

生きたまま焼却される子もいると聞いたことがあります。

 

 

このことがだれもが知っている情報となるだけでも、

「飼えないから処分してもらおう」

そんな風に気軽な感じで考える飼い主さんはいなくなるのではないか、

そう思ったことがあります。

 

安楽死といえば、

眠るようにほとんど苦しい思いをせずに済むというイメージがあります。

そのイメージを持っているが故に、

ハードルを簡単に超える人もいるのではないかと。

 

だから私はこのシリーズで、

センターに処分を依頼し持ち込まれた子は、

すぐには死ねず、苦しい思いをした挙句に、死んでいくのだということを、

どこかでお伝えしようと思っていました。

 

 

預けたが、自分が殺したのではないと、

後ろめたさへの言い訳を持つ人もいるのではないでしょうか。

 

センターに殺処分を依頼するとは、

命を奪うことなんだと、自分が殺すことなのだと、

そういう感覚が希薄な人もいるのではないでしょうか。

 

ただ、

自分たちの目の前から存在がなくなった、

楽になった、

それだけの感覚でいる人もいるのではないでしょうか。

 

センターに持ち込まれて殺処分される子達を殺すのは、持ち込んだ飼い主です。

当人がその自覚を持たないままでいいのでしょうか?

 

 

以前、県の動物愛護推進協議会の招きで、

山﨑恵子先生が動物介在教育についてお話をしに、

高知に来てくださったことがあります。

 

お話の中で殺処分の話に到り、

 

『 今まで飼っていた子をどうしても死なせなくてはいけないという状況になった時に、

飼い主は、できればセンターではなく、動物病院に連れて行き、安楽死をしてもらってほしい。

最後の時間に、どうかそばにいてあげてほしい。

ありがとう、ごめんねと言いながら見送ってほしい。

それが飼い主の責任を果たすということではないでしょうか。 』

 

そうお話しされたのを忘れられません。

 

 

ただし現状では、

動物病院に病気のせいでなく、ましてやかかりつけでない場合、

安楽死をしてほしいと依頼しても、

受け入れてくれる獣医師さんは皆無に近いかもしれません。

 

 

センターに持ち込んだ飼い主さんが、

自分の今まで飼っていた犬がガス室で亡くなっていく場に立ち会うことは、

現実にはほとんどないでしょう。

 

でももし、なんらかの理由で

どうしてもセンターに持ち込み処分を依頼しなくてはならなくなった時、

亡くなる場に立ち会うことは飼い主としての最後のつとめなのではないか、

私はそう思っています。

 

センターに持ち込むのが、

最後まで見届ける覚悟をもち、

それでもなお依頼しなくてはいけない事情を抱えた飼い主のみであれば、

持ち込みによる殺処分頭数はおのずと減るのではないか、そう思っています。